レジスタリーグでの涙
ー逆に4年間で嬉しかった、楽しかった瞬間はいつになりますか?
岡:4年生の10月に出た『レジスタリーグ』さんで、ナイスボムとして初めてAリーグに上がれたときが一番嬉しかったですね。さすらいラビーさんに呼んでもらえたときに、嬉しくて2人で泣いちゃって(笑)。レジスタリーグでAリーグに上がることがずっと目標だったので、本当に嬉しかったです。

―山本さんが4年間で嬉しかった、または楽しかった瞬間はいつでしょうか?
山本:これも2つありまして。1つ目が、岡さんは悔しかったと言っているので申し訳ないですが大学芸会2024さんです。次点だったけど、初めてあんなにものすごく笑ってもらえて。方南会館っていう大きい場所で、沢山の人がネタ中なのに拍手してくれてるというのを感じた瞬間が嬉しすぎて。ものすごく嬉しくて、ネタの後半で僕は泣いちゃうぐらいでした。もちろんネタ中に泣き出したとかではなくて、ちゃんとネタはやってましたけど。ネタが3分ぐらいの尺なんですけど、3分3秒ぐらいで「涙出てきちゃってるな」みたいな。ただただ信じられなくて、「ここにいるのは俺なのか」「これは本当なのか」とか、「これいけんのかな」「これが拍手笑いなんだ」みたいな思いが一気にバーって溢れて、とにかく嬉しくて、泣いちゃったんですよね。
山本:4年生のラストイヤーで、そういう経験が初めてだったんです。だから岡さんにはめっちゃ申し訳ないんですけど、僕は岡さんの気持ちを考えずに「ありがとう」と言ってしまいました。もちろん悔しかったんですけど、僕はそれまでに何もなかった歴史が長いから嬉しさが勝ってしまったんです。
山本:2つ目は岡さんと一緒で『レジスタリーグ』さんですね。去年5月にも1回出てたんですよ。レジスタリーグに出るには、抽選で受かるか、Cリーグから勝ち上がるかっていう2つの方法があるんです。それで、5月に初めて抽選に通って出れたんですけど、上位3、4組がBリーグに上がれる中で次点で負けちゃって。そのときにもちろん上がりたい思いはあったので悔しかったけど、上がった人もすごい人たちばっかりだったから、「しょうがないか」とどこかで思いながらやってたんです。でも、もう1回抽選に受かったときに岡さんから「報告あります」みたいなLINEが届いて。それで「受かりました」って言って、ものすごく喜んでたんです。岡さんのそういうところをあんまり見たことなかったので嬉しかったですね。ただ、その分僕はプレッシャーを感じてました。逆にこれに落ちたら僕らのレジスタリーグが終わっちゃうなと思ったから、毎日練習して。だから、ライブで本当にBリーグからAリーグに上がれたときはもう「嬉しさの緊張が止まんない」っていうか、全身に電気が走ったみたいになりました。ものすごく泣いちゃって、でもそれをみんなが笑ってくれて、嬉しかったです。お笑いをやっていて嬉しかったことを親に言いたいなと思って(大学お笑いの世界に)入ってきたけど3年間何もなくて、4年目もやばいかなと思っていた中でやっと掴めたから、迷いなく泣いちゃいました。お笑いで嬉しくて泣いたのはその2つでしたね。
ナイスボム解散、そしてBaby LIVE!!をきっかけに再結成
ー4年間の中で印象に残ってるライブや大会のお話を伺いたいです。
岡:私は『Baby LIVE!!』が1番印象に残ってますね。エントリー制のライブなんですけど、元々山本くんが別のユニットで応募して出ようとしてたんですよ。だけど、その相方が体調崩しちゃって出れないってなっちゃって。それで、そのときはナイスボムを1回解散してたんですけど、せっかく応募したのに出れなくなっちゃったから、「じゃあ私が出よっか」
と言って一緒に出ることになりました。でも、実際に出たら結構ウケて。そのライブで2位をとれたので、「解散したけど、大学芸会一緒に出よう」ってなったんです。だから『Baby LIVE!!』が1番印象に残ってます。

ー差し支えなければ、解散の件について詳しくお聞きしてもいいですか?
2人:全然大丈夫です。
山本:『レジスタリーグ』が終わってから解散したんじゃなかったっけなあ。
岡:たぶん4年の5月から6月……?
山本:6月にあった『Baby LIVE!!』に岡さんのご厚意で一緒に出させてもらったので、その前のことだと思います。それまでは、本当にそのまま解散して終わろうとしてました。岡さんの意見を聞いて、それを尊重しての解散でした。
岡:理由としては、山本くんが他にユニットをやってたから、そっちを頑張った方がいいんじゃないかと思ったんです。あと、私も山本くんとじゃなくて、別の人とやった方が良さそうだなって思って。流れで私の方から「ナイスボムやめよう」って言いました。
山本:そうでしたね。
岡:お互いのためみたいな。
ー山本さんも納得しての解散でしたか?
山本:今の内容に違うところは全く無いんです。ただ、僕はネタを書いてないから、みんなに感謝はしつつも、いっぱい組んでいればその分可能性が上がるとは考えちゃってて。そのとき主にやってたユニットがナイスボムともう1つだったので、「1個になっちゃったら可能性が減っちゃうかな」じゃないけど、大学お笑いって(1人が組んでいる)ユニットが多いイメージがあるから、アウェーになっちゃうかなと思ってたんです。
山本:あと、僕が書いてないからアレですけど、岡さんから解散したいって言われることなんか全く考えてなかったんですよ。「一緒にレジスタリーグも出て悔しかったよな」とかもあったからこそ、「これで終わっちゃうのか」という思いはありました。
岡:その分『Baby LIVE!!』がナイスボムの復活したきっかけだから、私は一番印象に残ってるライブだな。
山本:でも解散の日も忘れられないです。
山本:それこそ部活の時間に岡さんとちょっと話したときに、岡さんから解散の話をちらっと聞いたんです。でも、これはもう1回聞いた方がいいなと思って、「この日にお電話お願いします」と言って電話しました。「もうこれはしょうがないか」って確認できるようにしっかりノートを開きながら電話して、解散理由をメモして残しました。それで、納得して終わりました。
岡:これからも友達ではいよう、みたいな。
ー予想以上に円満な形の解散だと感じました。
山本:いや、円満ではなかった(笑)。友達としては別に円満かもしれないけど、コンビとしては円満ではなかったかもしれないです。僕はネタを書いてないから、とにかく岡さんの意見が尊重できるものだったんですよ。
岡:私が、ナイスボムのネタ書くのに疲れちゃって。それが一番の理由でした。
山本:初めて聞けました。
岡:ネタを書くのに疲れたのと、私はちゃんと“ツッコミ” “ボケ”みたいなネタを書きたかったんです。そっちの方向性でやりたかったんですけど、(ナイスボムは)どっちもツッコミができないので、この2人でのネタを書くのはちょっとしんどいなって思っちゃいました。あと、5月のレジスタに落ちた後だったというのもあって、「もう無理だよな」って。(Aリーグに)上がれなかったですし、これからもしんどい思いしてネタをズルズル続けるのも違うなって思ったんです。でも、山本くんはそれを聞いて結構ショック受けちゃってたみたいで、あのとき申し訳なかったな。
岡:やっぱりネタが「100:0(岡:山本)」だから、解散を止めるのも申し訳なかったみたいなんです。山本くんは自分の意見をあんまり言えない中で、もう解散しようって私があっさり言ってしまって。
山本:俺はあんまり意見を言わなかったけど、それは尊重が勝ってたからで。ネタを書いていないからこそ、相方の意見が尊重できるものであったら、もうそれは認めるしかないなって思ってるんですよ。ネタを書いてくれていることへの感謝の表れでもあります。普通に岡さんからの相談とかもありましたね。解散の話が1時間半で、その後の話3時間とか。これすごいですよね(笑)。
岡:仲は全然いいっていう(笑)。
山本:「俺どういう気持ちで聞いてんのかな」と思ったけど、「もう切るよ」とはならないじゃん、別に(笑)。
岡:解散理由とか記事に全然載せてください(笑)。
山本:岡さんがいいなら是非。僕も知れましたし。俺がここで初めて知ってるのおかしいけど(笑)。嬉しかったな~、解散理由聞けて。

ー続いて、山本さんが印象に残っているライブや大会をお聞きしたいです。
山本:さっきも挙げたんですけど、やっぱり大学芸会さんですね。僕は大学4年間で2回しか芸会に出れなかったんです。僕がもう1個やってる『山本』っていう漫才コンビがあって、そこで初めて3年生のときに出たんですよ。でも方南会館っていう場所も初めてで、芸会も初めてで、いざ出てみたら、相方には申し訳ないけど本当に全部ウケないみたいな感じだったんです。
岡:0.0%取っちゃったんですよ。
山本:大学芸会さんって本当に人気だから、お客さん満員じゃないですか。大きい会場でネタやるのも、すごい人数の前でやるのも、大会の緊張も初めてで、3分間スベリきって0.0%取ったのが3年の夏でした。とにかく悔しかったんですけど、それまでも何もなかったから、「どうしよう」ってとにかく焦っちゃって、「就職かな」みたいに思ったりしました。でも、その1年後に一旦は解散してたナイスボムで岡さんと一緒に大学芸会に出て、決勝に上がりはしなくても0.0%から戻ってきて70%取れたっていうのが嬉しすぎて。お笑いやっててよかったなって思いました。
ナイスボムお気に入りのネタ
ーおふたりのお気に入りのネタを教えてください。
山本:まず僕がどれだけちゃんと岡さんの言ったことをできるかにかかってるんですよ。だから、ネタをやるとき僕は緊張しちゃいますし、岡さんの要求を実現するのが結構難しくて。これは岡さんが言ってることが難しいんじゃなくて、僕が苦手なだけなんですけど。
山本:実はネタ中はあんまり楽しめなくて、僕はネタが終わって帰ってきた瞬間が一番楽しいです。だから「このネタはこうだから楽しい」とかはあまりないんですけど、やっぱり初めて築笑会や周りの人達からも「芸会行けます。頑張ってください」とか「これはいけますよ」とか言ってもらえるようになったのが、それこそ『Baby LIVE!!』で。そのときのネタが大学芸会でやった「ファンタジー」っていうネタなので、もちろん岡さんに感謝してますけど、このネタにも「ありがとう」みたいな感じですね。

山本:もう1個はコントなんですけど、一応コントの名前が「のびエチ」って名前で。
岡:私がのび太くんで、のび太くんがエッチなことして、逆にしずかちゃんの山本君が「のび太さんのエッチ~!」っていうネタがあるんです。
山本:女性の人が男性を演じることはバリエーションとしてあるかもしれないんですけど、岡さんがのび太くんをやってて、僕がしずかちゃんをやるっていう逆転には珍しさを感じました。あと、「僕にしずかちゃんをやらせる」っていう発想も。どれだけしずかちゃんをできるかなとも思いまいたし、(岡さんが)のび太くんの衣装を着た姿とかも面白かったです。あと、台本も俺の知ってるコントではないなと思ってて。悪い意味じゃないですよ。でも、説明ができないぐらいのすごいネタなんですよ。
山本:このネタをやってみたライブが『謎のユーモア』さんでした。2回出させてもらったんですけど、1回目に漫才で出たときよりも、2回目に「のびエチ」をやったときの方がたくさん笑ってもらえました。Xでも呟いてもらったり。「僕ららしいネタでウケた」というのがめっちゃ嬉しかったかな。
山本:あと、僕がしずかちゃんの衣装をちょうど地元に帰ってるときに材料調達したんですよ。それで、あまりにその男の人が女の人の衣装をどう取り揃えるのか分かんなくて、一応お母さんと一緒に買い物に行ったんですよ。だからお母さんが「あれどうだった?」って聞いてきたときに「いや、すごく笑ってもらえてよかったよ」って言えて、ここまで込みで嬉しかったです。
岡:理由がすごくしっかりしてる(笑)。私は、山本君ともう1人の築笑会の後輩の3人で「summer breeze.」(サマーブリーズ)っていうユニットをやっているんですけど、そのトリオの「教育実習生」っていうネタがすごい好きです。築笑会のYouTubeに上がってるので、本当にみんなに見てほしいです。ネタ合わせも楽しかったですし、やってるときも結構ウケて嬉しかったです。
ー「summer breeze.」のもう一人のお名前を教えてください。
岡:「まるまるもこみち」というもう解散しちゃったコンビの、宮田くんという子です。すごく面白い子で、山本くんみたいなオーラを放った子なんですけど、その3人でやることが本当に大好きで。「教育実習生」是非見てほしいですね。
POP3と築笑会について
ーおふたりの所属されているお笑いサークルについてはどんなイメージをお持ちですか?
岡:POP3はめちゃくちゃ暖かくて、めちゃくちゃ優しいサークルです。私は1年生のときからPOP3にずっと入ってるんですけど、本当に優しくない人がいない。先輩も後輩もほ優しいし、POP3に入ってる子は変なネタをやる子が多いんですけど、それでもみんながNOと言わないんです。どんなネタであっても全部認めてくれるし、ネタ見せだけじゃなくて、毎週みんなで遊べる企画とかもやってます。スベらない話をしたり、企画を持ち込めば何でもできます。スタッフであっても楽しめる、全員に優しいサークルです。
岡:築笑会は私たちが1期生でまだ発展途上の段階ではあるんですけど、“家族”のような感じですね。なんだろうね、仲間というか。
山本:“家族”。俺もそう思ってた。

ーおふたりの代が立ち上げメンバーなのでしょうか?
山本:僕らが1年生で入ったときは大東文化大学落語研究会で、2年生のときまでそうだったんですよ。
岡:築笑会は人数が少ないから、その分一人ひとりの交流がすごい深いんです。その分、部員同士で衝突しちゃうことも結構あるんですけど、そのぐらいみんな本気で向き合ってるというか、すごくいい部活だなと思いますね。なんかちょっとPOP3と似てるところがあるかもしれないです。
ー山本さんはいかがですか?
山本:岡さんと“家族”みたいな考え方は一緒です。大学にはお笑いのために入ったので、1年の頃は勉強がすごく大変だったんですよ。だから築笑会にいるときだけがとにかく楽しくて。築笑会の同期のみんなとは人数が少なかったから仲良くなりましたし、僕らが2年生になって、1年生が入ってきたときも人数は少なかったけど、だからこそみんな後輩とも同期みたいな感覚で仲良くなりました。部室に行ってみんなと会うときは「ここは癒されるし、なんか落ち着けるな」と思ってて。2つ目の家みたいで、「うわ、ホーム帰ってきた」みたいなことを言うようになってましたし(笑)。
山本:あと僕個人としては、今22歳ですけど、本当に色んな人が支えてきてくれて今があるんですよ。築笑会もみんなが助けてくれる、支えてくれる場所でしたね。僕は本当に何にもできないんですけど、みんなめっちゃ教えてくれるし、助けてくれました。
岡:そんなことないよ。
山本:え? いやいやいやいや。こういうことも2人でいるとき言わないので。
岡:そんなことないよ(笑)。
山本:言わないよ。言わないじゃないですか!
岡:何にもできないなんてことはね、ないですよっていうね(笑)。
山本:できないこと怒られて俺泣いちゃってるから。でも、築笑会が大東文化大学にあったから、大学に来て良かったなって思えた部分はデカいです。(サークルを)立ち上げてくれた僕のもう1個のユニットの「山本」の岡本と「琳苺怨」っていうユニットをやってる岩田が、2人で落語研究会から名前変えて作り直そうとしてくれたので、とても感謝してますね。
スーパーカミカゼアタックさん、えびしゃさん
ーサークル内外関わらず、大学お笑いの先輩についても伺いたいです。
岡:POP3の先輩なんですけど、「スーパーカミカゼアタック」の寺脇さんっていう方と「DCガールズ」っていうコンビを組んでたんです。その人にネタの書き方とかを色々と教わったので、その人がいなかったらナイスボムはいないかなというぐらいです。寺脇さんのことをめちゃくちゃ尊敬してますし、DCガールズで昔、松竹芸能が主催してる『ARAKEZURI』っていう大会の決勝に行けて。2年生のうちからそういう大会の決勝に行かせてもらえる経験をさせてもらったり、本当によくしていただいた先輩なので、寺脇さんのことは大尊敬してます。ちなみにスーパーカミカゼアタックは改名して、今は「スーパーカワセミハック」に変わってたと思います。
あと、もう1人が同じくスーパーカミカゼアタックのザ・ニンジャっていう方です。私はザ・ニンジャがやってるネタを見てPOP3に入るって決めたので、めちゃくちゃ尊敬してますね。ザ・ニンジャの『海外に営業に行ったねづっち』っていうネタがすごく好きです。

ー続いて山本さんはいかがですか?
山本:俺と関わりのある先輩で思いつく人いますか? いるかどうかだけちょっと教えてほしい。
岡:いないです(笑)。
山本:いないよね。オッケーです。
一同:(笑)
山本:でも個人として1人挙げるとすれば、えびしゃさんかな。今年のNOROSHIにピンとして出ることになったんですよ。僕はネタを書けないんですけど、チームの中で「誰をピンとして選ぶ?」ってなったときに、僕の“アンビリーバボー性”みたいなものに賭けるということで選ばれて。そこで、えびしゃの大根さんと中村さんがネタを講評してくれるネタ見せ会にエントリーしました。ネタ見せのときも、ネタじゃない部分なんですけど、僕が「こういうネタです」って説明するのが下手くそだとかでめっちゃ笑ってくれて。実は、その前にも『楽しいペチカ』さんに「山本」で出たときもMCがえびしゃさんで、トークさせてもらったんですけど、そのときに「面白い」って言ってくれたんですよ。僕は楽しく喋ってるだけなんですけど、「雰囲気面白い」みたいなことを言ってくれてて。自分では何が面白いのかも分かんないんですけど、えびしゃさんがめっちゃ面白い方というのを知ってるからこそ、こういうすごい先輩たちが俺を勇気づけるようなことを言ってくれてありがたかったです。
山本:本当に面識がない中でいきなりライブで一緒になったりしても、プロに行った大学のOBの方とかが優しく受け答えしてくれたので、そういうのは全部感謝してます。あと「芸会のネタ面白かったよ」って言ってくれるのもただただ嬉しかったです。
ナイスボムを初めてライブで観た時のインパクトは凄かったです!
深夜にナイスボムのネタを観たら皆んなハマると思いました✨