2025年3月をもって大学お笑いを卒業される「光り物」世代の皆様。今回は特別企画として、4年生の学生芸人の皆様約30名に大学お笑いとともに過ごした学生生活を振り返ってエッセイを寄稿していただきました!
エッセイのテーマは「自由」。相方のこと、大会のこと、大学お笑いに今抱く思いなど……ぜひそれぞれとの思い出を頭に浮かべながら読んでみてください!
慶應義塾大学お笑い道場O-keis ドラゴンレッド
ガラス越しの4年間
人生の春と謳われる大学4年間。だが、それは僕にとってガラス越しの春だった。触れられるはずの希望も、温もりも、すべては冷たい透明の壁に隔てられていた。それは大学お笑いという名の闘技場に身を投じた僕自身が、自ら作り上げた檻でもあった。
最初は胸躍らせていた。筆を取り、舞台に立ち、拍手を浴びるたびに、無限の可能性が広がると信じていた。だが、その可能性の大海原は、いつの間にか重圧と疑念の渦巻く迷路に変わっていた。毎晩ノートに走らせるアイデアは、朝が来るたびに安っぽいおもちゃに見えた。無数に生み出しては捨てる作品群。その山は高くなるばかりで、満足感どころか僕自身を押しつぶしてきた。
大学の同期は、いつしか「クリエイター」という名の盾を僕に向けてくるようになった。「君は才能がある」と、嘘のような褒め言葉を投げかけられるたびに、僕は空っぽのガラス細工が崩れる音を胸の内で聞いていた。僕は才能を偽る詐欺師だった。そして、偽り続ける自分を裁くのは誰でもない、僕自身だった。
夜になると、僕はバーカウンターの前に腰を落ち着けた。その瞬間だけは「金子わっしょい号」ではなく「金子裕司」でいることができた。煌めく液体の波紋が、僕の中の混沌を映していた。カクテルグラスを手に取り、無数の色と味を口に運ぶたびに、僕は現実の境界線を溶かしていった。モヒートのさわやかさは逃げ出したい青空を、マティーニの苦味は届かない理想を思い出させた。
だが、酔いの向こうに答えはなかった。ただグラスの底には、次の朝の倦怠感と、また今日も何かを作らなければならないという重圧が沈殿していた。吐き出した煙の先に、かすかな希望を見つけられるかと思ったが、それすらも溶けて消えた。
そして気づけば、4年が過ぎ去っていた。無数の未完成な作品群と、バーテンダーの「いつもの?」という問いかけだけが、僕の青春の証だった。「クリエイター」なんて名乗る資格はない。だが、それでも僕は手を動かし続けた。もがき苦しみながら、足跡を残すように。
ガラス越しの春が終わる頃、僕は小さなひび割れを見つけた。そのひびから射し込む光が何なのか、今でもわからない。ただ、それが唯一、僕を創ることに向かわせる理由だったのだろう。
こうして僕の4年間は、カクテルのアルコールと未完成な作品の影に包まれたまま、静かに幕を閉じたのだ。
大学お笑いなんてやらなければよかった。大学お笑いなんて。
筑波大学お笑い集団DONPAPA
モノとヒトの境界
わたしは大学お笑いの舞台で、腹話術を使いゴミ箱や炊飯器といったモノと対話してきた。一年次からはじめた「ものごころチューン」というポッドキャストでも、同じようにモノへのインタビューを行ってきた。わたしにはモノとヒトがどのように違い、どのように同じなのか、という疑問がある。それは、あまりにもわたしたち人間のために用意されているこの世界が、別に、わたしが幸せに生きるために用意されているわけではない、といううっすらとした絶望を背後に抱える。人間の一人ひとりが偉いわけではないのなら、全体としてこんなにえばっている人間そのものも、別に偉くはないはずである。
わたしは、モノがヒトのことを嫌いであってほしいと思う。個人輸入したピルを毎晩9時に飲む度、わたしは自分がヒトであり、肉であることを確認し、呪う。もし、モノがモノとして存在しなくてもいいとしたら、ヒトであるわたしもヒトとして存在しなくてもいいのではないか。ものごころチューンやわたしが作ってきたネタは、わたしが自分の血肉から逃げるために無理に作った抜け穴の試作品なのである。
お気づきかもしれないが、わたしは「お笑い」にはあまり興味がない(ちなみにコジコジや日曜天国やfriendsなどが好きだ)。当然賞レースにもあまり興味が持てず、最初はそこそこ結果も出ていたが輝かしい同期にすぐに追い抜かれてしまった。未だにわたしは大学お笑いの男性ホモソーシャルに全く馴染めない。大学お笑いには苦い思い出が多い。
そんななか、主催した「ぬいぐるみ向けお笑いライブ ほーるぬいわーるど」は、わたしが大学お笑いのなかに書き込んだ一つの回答であるように感じる。ぬいぐるみはヒトに近づくモノであり、ヒトの肉体から逃れるための一つの道標を担う(ような気がする)。また、ぬいぐるみ自身は性別を持たず、しかもどちらかといえば女児のものとされてきたため、ホモソに対抗する一つのシンボルにもなりえる。しかし、そんな意味はわたしが勝手に望んだだけで、ぬいぐるみはただふわふわしているのみであり、あくまでキャッチーでホットな話題である。ここに大学お笑いとわたしの方向性が、ただの一度だけ一致した。
わたしは大学院で腹話術について研究する予定だ。腹話術に、モノとヒトの境界が表象されているからだ。わたしの大学お笑いは、結局わたしの大きな興味に収斂された。この経歴は華々しくはないけれど、ちょっと気高いと思う。
東京大学落語研究会 MAGICマジKISS
近畿地方のある場所について
牛たんねぎしは♪ WOW×4
法律上は空港♪ YEAH×4
嘘LOVEマシーン失礼します。失れいじゅ。はるばくです。れいじゅではないです。残念なことに。全部聞き取れたのに。句点で終わらせるとアメリカ民謡研究会の曲名みたいですね。今この下書きをGoogleドキュメントで書いてるんですが、れいじゅの下に赤い波線が引かれて火炙りみたいになってて悲しい。魔女扱いですか。てか魔女裁判って裁判じゃなさすぎるだろ~!(現代人の驕り)
大学お笑い4年間で僕が得たもの、それは友達✨。凡答ですが、ガチってそうだから。ワンピースの正体も友達✨だと思います。尾田っちのちはガチのチだから。Perfumeのっちのちはチャプターのチです。DVD世代じゃけんな。あ〜ちゃんはそう言うけど(Perfumeの中であ〜ちゃんだけ方言強いのってあ〜ちゃんだけ実家通いってこと?)別にブルールレイにもチャプターはありますよ。でもマジでうちらの世代のPerfumeってDVDくらい売れてた!!日産のCMでカンガルーになってた。Perfumeとバナナマンだけに許された特権。PerfumeがDVDくらい売れてたということは、その頃のPerfumeのライブDVDはDVDがDVDを出してる状態ってことです。中田カウス県知事(今のところ僕にとっての師匠ではないので別の役職に配置させていただきました)がマンゲキで漫才のDENDOをやるのと同じです。
僕は早いうちから実力以上に大学お笑いを楽しめていた自覚があるんですが、それは間違いなくナルちゃんやしょせや松枝といった面白くて最高な友達✨のおかげです。カウス県知事にとってのボタン僧正の如く。ただ友達✨に会える外のライブが楽しかった分、東大こちけん――トントントンツーツーツードン(大)ドン(大)ドン(大)いやSOSじゃなくてSO[ここに太鼓の達人のドン(大)の絵が表示されてたら最高]じゃんか――のことは内向的なサークルだと思ってたんですが、最近になってようやく、こちけんが特別内向的なのではなく各サークルの外向的な人が外のライブに集まってるだけでは?と気づきました。辞めなくてよかったー。こちけん内の活動も楽しかったしみんな面白いのでよろしくお願いします。そしてやりたいお笑いがあるけどサークルで上手くいってない人は腐らず外に出てみては。。。my new gear。。。
一橋大学お笑いサークルIOK グラマラスグランマ
彼について
彼と初めて出会ったのはいつだったろうか、正確にはもう覚えていない。しかし、ピン名を一文字にしてしまうような、スカした彼と打ち解けるにはそう時間はかからなかった。普段よく人見知りをしてしまう私に、特に共通の趣味や趣向があったわけではないにも関わらず、彼は人懐っこく話しかけてきた。それに呼応するように私も彼に話しかける。最初は、彼が何を言っているのか分からないことも多かった。彼の立ち振る舞いに疑問を覚えることもあった。しかし、今では彼が言いたいことやりたいことが、手に取るようにわかる。鼻につくような彼の立ち振る舞いさえも愛おしく思える。結局彼とはサークル以外の場所で遊びに出かけるといったことはほぼ無かったものの、お互いそうした関係が心地良かった。
樽、それは球でもなく、四角でもなく。
樽、それはTaruでもなく、Barrelでもなく。
樽、それは気づけば近くに、気づけばバ先に。
樽、それは滑舌が悪く、足が長く、冬に痩せる。
樽、それは大きく、白く、髪固く。
樽、それは後輩以上でも以下でもなく。
樽、それは明日も樽、これまでも樽。
樽、それはネガティブになることをやめた男。
またいつか会おう。その時にはまた聞き取れなくなってるのかもね。
青山学院大学ナショグルお笑い愛好会 カルロスムニス
私の大学お笑い生活
青山学院大学ナショグルお笑い愛好会4年のカルロスムニスと申します。私の大学お笑い生活は後悔が多く、自分と同じ道を歩まないでほしいと思い、この文章を書きました。
2021年9月のデビューライブ以降、教室ライブがあれば出て、たまにガクコメに出て、大会はエントリーできれば出るなど、ゆるくお笑いサークルの活動をしていました。気持ちに変化があったのは、2年のNOROSHIです。複数の方からお褒めの言葉をいただき、自分のネタが認められる気持ちよさと、もっと頑張らなくてはいけないというやる気を強く感じました。ただ、ネタで行き詰まったりすると、マイナスの気持ちが勝って、やらなくていいかとなってしまい、やる気に満ちた状態とそれとの繰り返しでした。幾度かライブにゲストとして呼んでいただけたことは、大きなモチベーションになっていましたし、その度にまた呼んでもらえるように頑張ろうと思っていました。
しかし、前述のサイクルを繰り返し、中途半端にお笑いを続けて気が付いたら4年になっていました。7月の対決ライブで、敬語を使う相手がいないことに気付き、お笑いをする機会が残り少ないことを悟りました。私が2年の頃から、全然ライブに出ていなかった自分たちに、同期の土井がよく「お笑いやれよ」と言っていた意味をそのときやっと理解できました。
もう新しいネタも浮かばず、有りネタを消化して静かにフェードアウトしていくのかなと思っていた10月頃に、いとうのライブ〜ユクトモ編〜で久々に外でネタをする機会があり、その終演後の道で伊藤に言われた、「卒業までにもう1ネタ見たい」という嬉しい言葉をモチベーションに今、ネタを作っているところです。
私は、もっとネタ見せやライブに出て真摯に向き合えばよかったと4年の最後に後悔しました。いま自分もそうなるかもしれないと少しでも思った人がいれば、多少無理をしてでも本気で取り組んでみるべきです。大学お笑いはサークル活動なので、毎週ライブに出る人から、文化祭や大会だけ出る人まで様々います。ただ、それをいいことにのらりくらりと過ごしていた私は、気付いたらもう戻れないところまで来てしまいました。大学の4年間は長いようで一瞬です。本気で取り組めるものがあることだけでも幸せなことですし、本気になれるチャンスがあるのならやるべきです。その価値は今は分からずとも、後になって絶対に良かったと思えるはずです。
早稲田大学お笑い工房LUDO 煉炭貴族、春葦波
骨折
2024年3月23日、LUDOの先輩としずるの単独ライブを観た後、おしゃれな居酒屋に入り感想戦に華を咲かせた。その場はご馳走になり、解散したのち1人で駅に向かって上機嫌に歩いていたところ、点滅する信号を見つけ、これを渡れたらでかい!と思い、走り出そうとした瞬間——視界から信号が消え、目の前にアスファルトが広がり、「ドンッ」という鈍い音が聞こえた。状況を理解できずに呆然と車道に横たわっていたら、(過剰に運動神経に自信を持っている僕は、道で転ぶわけなくて呆然)どでかい音のクラクションが聞こえ、急いで散らばったイヤホンを回収して歩道に戻った。その戻る途中で初めて痛みを感じ、歩道に座り込む。ふと顔を上げると、信号を待つカップルがニヤニヤと僕を見ていたので、すかさず僕もニヤニヤして、「俺はお前らに笑われる側ではなく、この事象に対して同等に笑う側である」ということをアピールした。彼女はドン引き、彼氏は根性あんじゃねぇかよ、みたいな顔をしながらカップルが去っていった。その背中を見ながら、「俺の勝ちだ」なんて思っていた矢先、再び激痛に襲われる。運動神経と同様に骨の太さに過剰な自信を持っていた僕は、えぐい打撲と自分に言い聞かせ、脚をひきずりながら家に帰った。
翌朝、異常なくらい早くに目が覚め、とりあえず水を飲むかと起きあがろうとした瞬間に嫌な予感がした。
「これ足動かないんじゃね?」
直感は正しかったみたいで、右足に力が入らない。全てを悟った瞬間、冷や汗と涙が同時に溢れてパニック状態に陥り、とりあえず犬のように叫んだ。すると早起きで心配性で犬好きの親父が当然のように駆けつけてくれたので、全ての事情を話した。その日は朝からバイトで、代わりを探すも見つからず、とりあえず出勤をしてその後病院に向かった。色々パニックでよくわからなかったが、どうやら紹介状を書いてもらい、他の病院に向かった。次の病院でも紹介状を書かれ、またその次も紹介状を書かれ…3件くらい病院をたらい回しにされたのち、最終的に「あの、いい医者って意外とこういうところにいるんすよ」みたいな病院に着く。くたくたになりながら診察室に入ると、駅員みたいな顔の医者がいて、開口一番に
「この骨折の場合ですと…」
ファ!?(失敬)
話を聞くと、どうやら最初の病院で骨折は確定していて、どう折れてるかで、たらい回しにされていたらしい。
そこからはもう散々でしたわ!骨折死ね!
早稲田大学お笑い工房LUDO 暁天
私の大学お笑い生活
私の4年間は、川端なしでは語れない。LUDO23期、春葦波・煉炭貴族で活躍し、代謝が良く、蜂と雷が苦手で、「しずる単独が面白すぎて骨折」でお馴染みの川端。川端は相方でもないし、よく遊びに行く友達とも違う。ちょっと恥ずかしいけど、戦友という言葉が一番しっくりくる。「いつものベローチェ」で何時間も粘って、お互いのユニットのネタを一緒に考える関係。3年の夏に川端が引っ越すまで最寄りが3駅隣で、よく御茶ノ水で会っていた。一緒に帰ることも多くて、話が尽きないからよく何駅か歩いた。川端から貰う煙草が重くて、死にたくないから自分で軽い煙草を携帯するようになり、いつの間にか喫煙者にされていた。川端は私のことを、身の回りの人間で一番嫌なところがないと言うけど、これは間違っていて、川端と私の嫌なところが似ているからそう思うだけ。川端は私がオペレーターにいると安心すると言うけど、これは正しくて、私はオペと川端のメンタルサポートが得意。
ずっと川端に救われてきた4年間だった。2年のNOROSHIでワンウィークと組んで、ワンウィークが爆発的にウケたのに暁天が微妙で上がれなかったことがあった。人生で一番悔しくて情けなくて、ワンウィークが帰るまで耐えたあと、同期3人の前で体中の水分がなくなるまで泣いた。その日、川端が泣き止まない私に「絶対大丈夫だから」と言い続けてくれて、水を渡してくれて、最後私が帰る電車に乗るまで側にいてくれた。川端がいなかったら、今頃私は新宿東口の喫煙所のシミになってあの日にこびりついたままだ。
そんな川端と、4年生になるまで一度もネタをやったことがなかった。最後の芸会が早々と終わり、準決勝を観に行く気持ちになれずに人の家でぼんやりしていた日、やっぱり一緒にネタやらないまま終わるのは変だと川端が言い出して、気付いたらベローチェにいて、M-1のエントリー用紙が埋まっていた。「30になって独身だったら結婚しよう」がテーマのネタをやって、ちょっとウケて、落ちた。楽しかった。恥やプライドなど、いろんなものを越えられた気がした。
卒業後、お互いどんな人と関わってどんなことに今くらいの情熱を注ぐのかわからないけど、川端に話したいと思うことが尽きないような、中身の詰まった人生を送りたいなって、この前ふと考えた。もうすぐ私が引っ越すと、今度は家が徒歩圏内になる。たくさん遊びに来てね。最寄りのベローチェも探しておきます。
大東文化大学お笑い研究部築笑会、早稲田大学お笑い集団POP3 ナイスボム
山本くん
私の相方山本くんは、持っている服のほとんどがAZUL by MOUSSYのものらしいです。確かに着ている服のタグを見ると必ずAZUL by MOUSSYと書いてあります。
AZUL by MOUSSYって店内がすごく薄暗いところですよね?ちゃんと服買えてるのか心配になります。山本くんはすごく怖がりで、Netflixのトークサバイバーも怖くて見れないほどです。
もちろん暗い場所も怖いはずです。ライブで暗転中、彼が暗いな。大丈夫かな。と呟いているところを何度も何度も聞いてきました。
ネットで買うという選択肢もありますが、山本くんはクレジットカードを持っていないし、PayPayもやっていないから、絶対に店内で買っています。
薄暗い店内にいる、オシャレな店員さんに、着たいと思う服を持っていって、現金で支払いをしているはずなんです。
彼が薄暗い店にわざわざ向かって服を買っているところが想像できないんです。
GUとかユニクロはとっても明るい店内なのに、、、。なんで、、、。って思うんです。
でもなんでって聞けないです。山本くんはAZUL by MOUSSYの話になると目の色が変わるから、、、、、、。
早稲田大学お笑い工房LUDO、立教大学お笑いサークルパラダイスポート ストロングブルジュニア
下ネタ
自分たちは下ネタが好きだ。2人とも同じくらい好きだから、日々のネタ合わせでどちらかが行きすぎた下ネタを提案しても気づかないこともある。これがデメリットがメリットかどうかは自分には分からない。幼稚園の頃からの幼馴染の丸山と下ネタを言い合って笑ってるのは、側から見たら気持ち悪いと思う。しかし、幼馴染だからこそ言いあえる下ネタが自分はあると思う。最近は下ネタだけに飽き足らず、身体的距離が縮んできて、指をしゃぶるのはもちろん、鼻、口ときて、もうあとがない状況だ。丸山がしゃぶられるのを嫌がらなくなってきてるのが自分は怖い。自分は昔から下ネタが好きだと思っていたが、最近中学の友達に会った時に、よしき変わったね、と言われた。どこが変わったか聞くと、下ネタの頻度が高すぎたらしい。その後、自分は昔から下ネタ好きだったしと、変わった自分を受け入れられずに機嫌を悪くした。今年になって、プロのライブにもたまに呼ばれてネタをやる機会が増えたが、下ネタは受け入れてもらえない。みんながみんな下ネタは好きではないのだと気づいた。そう考えると、大学お笑いの人は下ネタ好きなんだなと、自分は嬉しくなった。もし下ネタ嫌いな人がいたら教えてください。そしたらきをつけます。
慶應義塾大学お笑い道場O-keis
大学お笑い4年間で後輩に1番伝えたいこと
大学お笑いには様々な思い出がある。4年間必死にお笑いに向き合い、人一倍酸いも甘いも味わった。そんな僕から、後輩に1つ絶対伝えたいことがある。
それは、
「新宿のライブの打ち上げの際に行く『夢吉』の男子トイレで小便をするとき、顔が壁にあり得ないくらい近づいてしまうから気をつけろ」
ということだ。これに尽きる。
ここ1年、夢吉の小便器で隣り合う後輩にこれを伝え続けた。今日はそのリアクションを記そうと思う。
①日付け②夢吉を利用した目的
③伝承した後輩④後輩の感想
(伊藤は、誰に対しても「大学お笑いでこれだけは覚えとけ!夢吉のトイレの壁は近い」と述べている)
5/15 王杯打ち上げ
・カズ・ヒラカズ「たしかに」
6/1 デビューライブ打ち上げ
・鶴よ!中村「これ、そうなんですよね!」
・さかなの乱永松「言われてみればそうですね」
こうして実際に、伝統を受け継ぐ張本人の身になって感じたことがある。
「みんな関心が薄すぎる」
たしかに、伝統とは流行が廃れ、そのものを後世に残す意味合いを持たせるために残るという側面もある。
これも同じ。継続して、たえまなく伝えていくことが大切だろう。
8/21 芸会準決勝2日目打ち上げ
・いふぁ「いや、たしかにそうっすけど」
ネタを手伝ってくれ、2人で決勝進出の喜びを分かちあったいふぁをもってしても…
強いて言えば鶴よ!中村が1枚上手か。
10/3 王杯 打ち上げ
・さかなの乱永松(リベンジ)
「俺の実家の方が近いっすね。ごめんなさい!俺の実家の方が。きて欲しいっす」
ついにきた。これを待っていたのだ。永松には伝統を受け継ぐ気概が感じられる。永松がいれば大学お笑いは大丈夫だ。安心して去ることができる。今までありがとうございました。