関西大学お笑いサークル関大ストラット チャームビート
峯松という男
エレファントミネマツ、僕は相方であるこの男のことをいまだに理解できていない。
何の相談もなく勝手にエレファントになってみたり、Xの名前をカミソリにして「俺の笑いは鋭利だぜ~」と言ってみたり、日が沈むにつれて「彼女欲し~」と言ってみたり、後輩から預かったものを紛失し「湯気預かったんかと思ったわ」と言ってみたり、俺早起き好きやねん!といって18時入りのライブに寝坊してみたり、後輩が「哲朗さん」と呼んだだけで「婿入りしたかと思われるやろ!」と言って会話を止めてみたりするという破天荒すぎる言動。それに加えて偏差値70超の進学校出身、卓球では大阪府ベスト8というハイスペック。極めつけにはこの感じでツッコミ担当である彼。こんなにも奥が深い男を理解する方が困難です。
なによりこの男の不思議なところは異様なほど周りに人が集まるというところです。遅刻癖や連絡不精な性格から演者はもとより多くの裏方さんに迷惑をかけているはず、なのになぜかサークル内には峯松を慕い、峯松のためならと峯松主催ライブに尽力してくださる裏方さんが絶えない。これは本当に凄いです。相方の僕からも感謝したいくらいです。
そういう人に愛される力がいきすぎて以前大遅刻をした峯松にみんながまじめに説教をした時もなんか最後は全員笑っていました。どういう流れでそうなるねん。
「結局どういう人やねん」と思ったあなた、おっしゃる通りです。僕もあんまわかりません。言語化できない奥深さこそが魅力なのかもしれません。もうそういうことにさせてください。
でも個人的な想いとして、所謂「じゃない方」の僕を抱えて3年以上「目立つ方」をやり切ってくれたということには本当に感謝しています。そしてそれがトントンになるくらいには彼の怠惰の尻拭いをさせられてきました。本当にトントン、何もかもデコボコで対等、そんな3年4か月でした。
そして最後になりますが今まで関わってくださった皆様本当にありがとうございました。皆様の未来がより素晴らしいものになることを心より願っています。
専修大学落語研究会お笑い企画STRIP GUN CLUB 鯖のTシャツ
『鯖のTシャツ カンドウのオススメ!ライブ飯』
『鯖のTシャツ カンドウのオススメ!ライブ飯』
どうも、鯖のTシャツのカンドウです。今日はライブの前後にぴったりな“ライブ飯”を紹介したいと思います。
まず紹介するのは、中野にある洋食屋さん「age.」。
中野には中野twlや中野Vスタジオなど、さまざまなライブハウスがありますが、ここはそんなライブ前後の腹ごしらえにぴったりのお店です。
「age.」の魅力は、なんといっても豊富なメニュー。
定番のハンバーグやオムライスはもちろん、
浴衣を大袈裟に炙って、浴衣に一切の隙を与えさせないための料理、「ビヨンセ」というメニューまで揃っています。
ちなみにビヨンセはガムです。
気になる店名の由来は、店主が歳をあまりに取りすぎたという自覚があるからだそう。
ライブ前後のエネルギーチャージに、ぜひ一度足を運んでみてください。
続いて紹介するのは、新宿ブリーカーや新宿Fu-などの劇場で賑わうエリアにある、テニスの出来る居酒屋「罰懲 刑(バチコリ ケイ)」。
西武新宿駅から徒歩7分とアクセスも良く、足を運んだことのある人も多いのではないでしょうか。
居酒屋「罰懲 刑」といえば、やはり名物店長の存在が欠かせません。学生芸人に優しく、極端な話、帽子を被っています。そんな名物店長は、お店に飾られてあるサインをかなり大柄な態度でプレゼントしてくれることもしばしば。
また、プレゼントしてくれるサインとは別に、店内にはRHIME手裏剣のサインがズラリと並んでおり、いつ行ったとしても、昨日のサインが飾られています。
メニューにも店長のこだわりが光り、学生芸人たちのネタや流行にちなんだ限定メニューが登場することも。例えば、「ラーメン大学」など、学生芸人にはたまらない一品もあるとか。
ちなみにラーメン大学はほうき星です。
新宿でライブを楽しんだ後は、ぜひ「罰懲 刑」に立ち寄ってみてください。運が良ければ、店長の太っ腹なサービスにあやかれるかもしれません。
以上、『鯖のTシャツ カンドウのオススメ!ライブ飯』でした!
早稲田大学お笑い工房LUDO バーズ
大学お笑いに足を踏み入れたあなたへ
こんにちは、バーズカルビジョンのオギノフルマックスです。まず私の大学お笑いの大会での結果について話します。大学芸会は一度も予選突破をすることができませんでした。NOROSHIでは一度も西荻でウケることができず、決勝に行けませんでした。悔しいです。納得のいく結果を残せませんでした。NOROSHIでは、フナツは2回目の優勝をしようとしていて、川端は本コンビ2つとも決勝に行って、3年でチームメイトだった伊澤も決勝に行きました。悔しいです、本当に。
私は、お笑いよりさらに大学お笑いが好きでした。1年生の時、LUDO4年生だったおみそしるさん、鳥山明・暗さんにハマって、自分もいつか追いつきたいという夢ができました。現在4年生が終わろうとしている今追いつくことはできなかったと感じます。4年芸会で納得の予選突破をすることが自分の最低限のタスクでした。しかし、予選突破どころかウケることすらできませんでした。一度も芸会のTwitterに名前を載せられなかったのが悔しいです。芸会を忘れ去るために、せめて西荻でウケて終わりたいと思い臨んだNOROSHIでしたが、そう上手くはいきませんでした。目を逸らすことでしか回避できない悔しさが残ってしまいました。
芸会NOROSHI以外にも大会はあります。レジスタ、ガチプロ、学M、全アマ、アルレク、under5、under25、M-1、キングオブコント、R-1。いくつか結果も出すことができました。しかし、いざ4年の芸会NOROSHIが終わってしまった今悔しさが残ってしまいました。勝てなかった者として認めたくないですが、芸会NOROSHIは別格です。そこで結果を残してこそ本物だと思います。他の何で勝っても悔しさは拭えず、自分を騙し満足し切ることはできませんでした。まだ一回以上芸会NOROSHIが残っている方、悔いの残らないよう頑張ってください。
でもよくよく考えたら満足やな思ってきました。楽しかったし、合宿やら遊びやらに参加せず4年まで続けられたし、プロのライブ出れたし、チンさん決勝いったし。
大東文化大学お笑い研究部築笑会 ナイスボム
『エッセイになってますか?こんなに書いても、書ききれずだなんて、、ゆくゆくwant to補い』+「昔から要約は苦手だなぁ。文字数多くてごめんなさい。」
大学時代を築笑会の同期の岩田、岡さん、パットバーバラ(以下:パバラ)、空腹限界の相方のラ美(ラーメン美術館に2人で通っていたため、ラ美と定義)から思い出します。
初めての大学のネタ見せで結成されたのがパバラとのコンビ、山本です。それからかくかくしかじかあり、どうしようとなっていたなかで、思い切って道を切り拓いてくれたのが岩田でした。その道の先にあったのがガクコメ!さんで、その道を10キロ進んだところにあったのはペチカさんでした。やはり初めてのライブはガクコメで、ラ美とパバラとのトリオで出演し、その後はしばらくラ美とのコンビ、空腹限界で活動し、3年生の1月頃からラ美の方針が変わり、色んな方法を試すことはできましたが、活動は減り、パバラと活動するようになりました。そこで初めてペチカにも出演させていただき、ペチカとガクコメ中心の活動でした。
そんななかで、ついに初めて大学芸会さんの予選にパバラと出ることになったのですが、初めてデカ会館で漫才をした時、大袈裟ですが、舞台から見えた審査員のお客さん方は、まるで生存者2人を下から見上げるゾンビのように見えていました。あの日の帰りは、何も見えなかったのですが、「滑り台、滑った数だけ着地が上手くなる」と家で考え、公園に行かないと!となんとか靴を履き、外に出ました。※私は何も考えていませんなのですが、理解を得ています。
その後は再び、ペチカとガクコメ中心に活動していたときに、2024年2月、Baby LIVE!!さんが発足し、パバラと出演しましたが、..という感じでした。しかし、後にこのライブは、僕の転機となるものでした。
ラストイヤーが開幕する前に大きい2択を迫られることになったのですが、正しい1択に導いてくれたのが完璧なパバラでした。そのおかげで今があります。
だいぶ省略し、解散してたナイスボムでベイビーライブに出たら笑っていただけて、面白かったと言っていただけて、それがナイスボムを復活させてくれました。その後は信じられない!?をどんどん積もらせていただきました。
省略、辞めずによかったと思える大学生を送らせていただきました。同期さん、後輩さん、築笑会、笑っていただいたお客さん、知っていただいた方、出演させていただいた全ライブ、本当にありがとうございます。よろしくお願いしますを引き続かさせてください!!
書き切れずのこともいつか!
中央大学お笑いサークルCOP ベロニカは死ぬことにした
ただのサークル
こんにちは、ベロニカは死ぬことにしたの三森です。
僕は約3年半、中央大学唯一のお笑いサークル「COP」に所属し、楽しく元気に活動してきました。今回はそんな僕たちCOPの情けないけど愛おしい思い出を他大学のお笑いサークルと比較しながら振り返っていこうと思います。
2021年8月に中央大学お笑いサークルは設立されました。同期の学生芸人がガクコメや大学芸会に出始めた頃でした。一方、僕たちは「中央大学お笑いサークル」→「中央大学お笑いサークルCEnTERLInE」→「中央大学お笑いサークルCOP」と毒にも薬にもならないような改名を繰り返していました(信じられないですが、CEnTERLInEは本当にnだけ小文字です。特に意味はありません)。12月にデビューライブも行われましたが、びっくりしちゃう位滑ったのであまり記憶がありません。ライブ後の打ち上げはすごく楽しかったです。…そんな2021年でした。
2022年、大学お笑いの新しい大会が始まりました、「新人戦」です。大学お笑い1年生のみが参加することができるこの大会は、熱さと共に同期の中で明確な順位が出るという残酷さも持っていました。1年生全体がこの大会に向けて切磋琢磨をしていた空気感を今でも鮮明に覚えています。
一方その頃、僕たちCOPはみんなエントリーに失敗したため、スポーツ大会をしていました。他大学の同期が熾烈な戦いを繰り広げる中、僕たちはバスケにドッヂボール、バトミントンなどの競技で戦っていました。楽しかったです。
2022年は、活動やライブの回数よりも打ち上げと飲み会の回数の方が多いという不思議な年でした。当時のCOPは、ネタ見せをするユニットが半分終わった辺りで立川にある「一休」や「おすすめ屋」を予約して、活動終了後、すみやかに打ち上げを開始できるように頑張っていました。打ち上げが終わるとすぐに誰かの家で二次会が始まります、そして意味もなくその人の家に泊まり、朝になると牛丼屋で1番安い朝ごはん定食を田向さん(かけ違いチキン・たむかいかわさきetc.)にご馳走してもらいぼちぼちと帰ります。一方で他大学のお笑いサークルの同期たちは芸会やNOROSHIで着々と結果を出していました、僕は努力もしていないのに悔しがっていました。変な奴
2023年も相変わらずCOPは最高でした。とうとう、大学近くの河川敷でも打ち上げをするようになりました。そんな最高な日々が続く中、CONTest(アマチュアコント日本1を決める大会)で僕たちはかなり挫折します。他大学の同期が次々と決勝に進出し、さらにミックストマトジュースが優勝する中、僕たちは予選で自信のあったネタがウケなかったのです!かなりレベルの低いことを言っていますね。ずっと「一休」に予約の電話を入れるだけだった奴がちょっと頑張ったくらいで勝てるほど大会は甘くないとこのタイミングで知りました。その後、日高屋立川駅北口店の2階で「ベロニカは死ぬことにした」をドバイかわさきと福本と結成しました。その時、福本が卵が苦手なのに温玉ありきで美味しい汁なしラーメンを頼んで、なぜか不本意な顔をしてたのをいまだに覚えています。
ベロニカを組んでからも僕たちの生活はほとんど変わりませんでした。学園祭の時に5日連続で打ち上げに行ったり、田向さんの家でコンビニ最安値のレモンサワーを飲み続けたり、福本が7万円の全自動麻雀卓を買って破産しかけたり、色々なことが起こりました。
しかし、ちゃんとやることはやるようにはなりました、そうです、色々頑張るところは頑張るみたいな。うん、そんな感じです!!そしたら決勝とかもいけました!運とかもあるけど!!
僕はずっと、すごい同期達の3歩くらい後を歩いてきたと思います。サークルに入ってから最初の2年間は大会では負け、ライブには呼ばれず、サークルの同期と傷を舐め合い、大会の悪口を言い、住んでるアパートには赤ちゃんゴキブリが大量発生しましたが、コントを作りたくなくなったことも、お笑いをやめようと思ったことは一度もありませんでした。COPが大好きだったからです。今思えば、意味のないような、側から見たら怠惰でしかない時間こそが何よりも素晴らしかったと思います。
上智大学お笑いサークルSCS
逸脱
大学お笑いの四年間は、私の人生で唯一になるであろう、「逸脱」の四年間であった。
私はこれまでの人生、とても真面目に生きてきた。自分が考えていることを爆発させるような機会もなかった。だから大学お笑いにはとても期待を寄せていた。
だから最初に大学お笑いを知った時は、少しがっかりした。当たり前のように遅刻する人、期限を守らない人、単位を落としまくる人、留年する人。面白いってこういうことではないだろうと思った。倫理的に許されない下ネタが大会でウケているのもとても嫌だった。楽しませてもらった半面、同じくらい嫌なこともあったので、今でも大学お笑いが大好きかと聞かれれば、否である。それでも、これまでの自分と異なる自分を解放したいという気持ちを受け止めてくれたのもまた、大学お笑いだった。次第に、あらゆる形の「逸脱」を受け止めてくれる場所がここなのだと悟った。
♢
お笑いをやるのはとても辛かった。自分が人からどう見えているのか、自分の内面と外側のイメージのギャップが苦しかった。ふわふわしたキャラでやっていたが、私の地声は低いし、俗に言う「女の子らしい雰囲気」は苦手だった。
それでも大学お笑いで演者として取り組んだ時間は、神経質で、完璧主義で、繊細な自分にしっかり向き合った時間だった。自分は何をやりたいのか、何を面白いと思うのか。個性という言葉にすると何だか陳腐だけれど、自分にしかないものを見つける時間は辛くもあり、有意義でもあった。田舎の歪んだジェンダーの下で過ごした時間が今の私を作っているから、だから辛かったのだと気が付いたのはわりと最近である。
♢
大学お笑いでは、いい出会いもあった。
二つ上のぺちか(SCS)は、大学お笑いの四年間を「楽しいことと同じくらい苦しいことがあって、せめぎ合ってやっと楽しさが勝つくらい」と言った。私が一番苦しんでいる時期、この言葉に救われた。彼は私にピンでやってみたらと、ネタの原型を示してくれた人だった。呆れるほどだらしないけれど、こんな私にも優しい人だった。
一つ上のドラゴン兄ちゃん(SCS)は、大会の度に的確に助言をくれた。この人が大丈夫と言えば、多少滑っても自信が持てた。私に明るいキャラをつけろと最初に言ったのもこの人だった。
同期のやんす(SCS)も、私に力を貸してくれた。誰も私と組もうとしなかった一年のNOROSHIで私を拾ってくれ、一緒にネタを考えてくれた。四年では一緒にスリーマンもやってくれたし、私のジェンダーに関する意見を最初に面白がってくれたのもやんすだった。
そして一つ下の月刊暴力(SCS)の鈴木と早川。三年の終わり、もうお笑いはいいやと思っていた私に、残り一年頑張る気力を与えてくれた二人だった。月刊暴力となら最後のNOROSHIも上がれると確信した。結局出られなかったけれど、とても充実した一年にしてくれた。特に鈴木は、私の面倒な性格をとてもうまく操ってくれ、人との橋渡しをしてくれた。
♢
サークルを卒業する瞬間、楽しかった思い出と辛かった思い出、私の中で勝るのはどっちなのだろう。この文章を書いている今もまだ、わからない。それでも確かなことは、大学お笑いはあくまでも私にとって「逸脱」の時間であるということだ。これから始まる社会人生活、自分の膿を出し続けたこの道には間違っても戻ってこないように、卒業したらしっかり蓋をしておこうと思う。
♢
このような機会をくださった編集部の皆さん、最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。
慶應義塾大学お笑い道場O-keis アプリコ、ドラマ☆麺
3月
終わりまでが早すぎて、自分が正しく終われなかったことにまだあまり気付けていません。
正しいっていうのは、勝った負けたの話とは違うんです。
勝った負けたの話なのかも。でも、今の自分はそうではないと思えています。
みんなの喜びの声や、集大成のようなネタ動画が、チャーシューくんのリツイートで回ってくることで少しずつ自分の終わりも理解し始めてきました。
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でも、
まだ終わりじゃないですから。
失っただけですから。
続きますから。
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2022年の3月、僕ら光り物代は海老車が起こした爆風のような瞬間を目撃しました。
現代仏具や坊屋さん、青御膳やエシャロット、ナイスバディなどが、ルミネtheよしもとで大学お笑いを終えて、
その終わりの、緞帳が下りる瞬間に、海老車の中村さんがコント衣装の下からO-keisTシャツをこちらに見せたあの日です。
あのTシャツを見た瞬間、
『中村さん、全て間違ってなかったんだな』
と心が思いました。別に、4年間の最後の1年間を見ていただけだけど、僕の心はそう思いました。
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また今年も緞帳が下りました。
チーム消防車や、他の4年生たちの姿を見て、
みなさんも、間違ってなさを思いましたか?
みなさんの心が、少しでもそう思ってくれていていたなら、光り物代の同期として誇らしいです。
そして、そう思わせてくれたあの舞台に立っていた4年生達を、はげしく凌駕する程プロの世界で活躍することで、自分はようやく正しく終われるでしょう。
それは、自分だけでなく、3月10日に客席にいたプロに進む同期たちも同じです。
僕らは失うことでその先も続けられる権利を得ました、失うことで終わりになりませんでした。
プロに進まない同期たちも、自分自身が正しくなれるまで自分の思う事を続けていって、だから終わりじゃありません。
結局、勝った負けたの話なのかも。
じゃあ、僕がこの先大きいところで勝てたら『間違ってなさ』を、感じて欲しいです。みなさんがそうしてくれることが、僕が正しく終われるための条件です。
3/28 春の相関図、3/29 O-keis帝王杯。
『間違ってなさ』の片鱗を、少し見せられるかもしれません。
緞帳は下りたけど、まだまだ続きます。
東京大学お笑いサークル笑論法 赤福チャイム
お笑いを続けることは、異常であり貴くもある
私は明確に「お笑い続けよう」と思った瞬間があります。それが数回あったお陰でなんとかここまで来ました。逆にこの瞬間がなかったらある日突然お笑いをやめていたかもしれないです。
ここでは現在のメインコンビ「赤福チャイム」に焦点を当てて文章を書いていきます。
まずは2年生の3月。当時のメインコンビ「さあイグアナ」は相方の卒業に伴い、年度末での活動終了が決まっていました。4月以降も赤福は続けたいが結果を出せるのか、そして、イグアナの相方が書いていたような良い台本をこれから自分が書けるのかという不安がありました。
そんな思いを抱えながら出た笑論法のライブで赤福のネタが跳ねました。このネタは、自分が大学の定期試験で余った時間に問題用紙に設定を書き殴ったところから始まった新ネタで、この日はまさに設定がピタッとはまり、バラシで爆発しました。これまで体験したことのなかった確変状態の中、興奮しながらネタをやり切りました。このとき、赤福を続けたら何か起きそうという予感がしました。これが一つ目の「瞬間」です。
その後部長戦で評価してもらったときやCOPのライブに呼んでもらったときに何か掴めそうな感じもあったのですが、CONTest、芸会といった大会では完敗。他方、就活が始まり実体のない不安とお祈りメールに襲われる日々を過ごすことになります。
そんなわけで結構不安定だったのですが、転機が訪れます。それが赤福と高橋元気からなるユニット「カルチャーズ」の主催ライブです。ライブの主催をするのは初めてでしたが、そこで笑い以上にお客さんから熱を感じたのを覚えています。言ってしまえば、自分が作り上げた世界でお客さんを楽しませる手段というのはネタだけではないということに気づき、どこか知らない場所から自分の方に光が差し込んだような感覚がありました。
他にもこうした瞬間自体はありましたが、この二つが特に重要な瞬間でした。「結局ネタとかライブの話じゃねえかよ!」というご指摘には反論できませんが、こうした瞬間が来るのがもうワンテンポ遅かっただけでも、今の自分はいないということは言わせてください。タイミングというのは本当に重要です。相方、ネタ、そして自分を信じ続け、機会を伺い続けたことは間違っていなかったと確信しています。
つらつらと書いてしまってすみません。
この駄文がどこかの誰かにとって有益なものになっていたら嬉しいです。
明治大学お笑いサークル木曜会Z スメタナ
スメタナの漫才を3つ紹介!
木曜会4年の清水です。スメタナというコンビで漫才をしています。アナザーゴリラというピンもやっています。
大学お笑いでの4年間は、楽しさと大変さが半々でした。大変だったのは主にネタ作りです。ライブ前日にネタを徹夜で考えたり、大会前に同じネタに向き合い続けたりするのが特にしんどかったです。大学お笑いが4年しかないから、何とか走り切れたと思います。
今まで作った好きな漫才を3つ紹介します。
①「体操服」
https://youtu.be/YBK9yzVOxvw?si=YQ9RxZkuv6_moSO-
1年生の冬に作ったネタです。第一回同期ライブ光り物でやりました。たまが細いです。光り物では上位を取れて嬉しかったのですが、アンケートに「王道な漫才」という趣旨の事がたくさん書かれていて、異端寄りのネタが好きな自分は少しもどかしさを感じました。
②「チョロQ」
https://youtu.be/rtry6xQPRpY?si=hJi424_riQsZ2czu
3年の大学芸会で初めて勝てたネタです。スメタナの最高傑作かもしれないです。パワーがあります。変なことをやってるのになぜか理屈が通ってるのが良いと思います。
③「ゴキブリ」
https://youtu.be/hUlvNj8AC2E?si=1fHlbfJr5u5hJFu0
4年芸会の予選と決勝で披露したネタです。好きなネタは異端寄りだけど、作れるネタは正統派な自分が、なんとか最後に作った変なネタです。支離滅裂なことを言いつつ、ちゃんと設定バラシがあるところが、自分のネタという感じがして好きです。最後の叫びは博打です。予選では勝って、決勝では負けました。
そんな感じです。大学お笑いでは本当に良い経験をさせてもらいました。ありがとうございました。たまもありがとう。
↓特に好きな自分のネタのプレイリストを載せておきます。是非見てください。
https://youtube.com/playlist?list=PLVtMkU4Tqry6PECntspStlaujG4DtIV4g&si=hk4lYSwrGN0AulDo
専修大学落語研究会 お笑い企画STRIP GUN CLUB マボロシ
なじまり
KO(WARA)のみなさん初めまして!マボロシの鉄です!当たり前じゃねえからな!
僕はマボロシを組む前に、高校1年の頃「なじまり」というコンビを組んでました!ハイスクールマンザイを組むために中学の頃の友達を誘って結成したコンビです!
なじまりは結成してすぐハイスクールマンザイの動画予選にエントリー。「デート」や「喧嘩」のネタなどから迷いましたがお客さんのいない2分とういうことで無難に「選挙演説」を披露し準決勝まで進出。
準決勝では「高級レストラン」「ヒーローインタビュー」「日本語」どのネタで勝負するか迷いましたが、舞台が広い会場ということで「変な人」を披露するもウケずに敗退…!なじまりでNGKに立つ夢は叶えられませんでした。ネタ終わり、なじまりFUJIWARAの2組でイオンモールでトークしたのも懐かしいです!FUJIWARAさん、なじまりに優しかった!
そんな、なじまりで印象深いエピソードは、なじまりでファミレスに行った時の話です!
なじまりの相方はあまりお笑いに興味があるタイプじゃなくて、その年に四千頭身がM-1の3回戦で前半に畳み掛けるなのネタを披露していて、なじまりの相方に「このネタ面白いからて見て!」とGYAOに上がっていたネタ動画を見せたら、相方は「それでいえばこれも面白いから見て!」とマリオカートのゆっくり実況をオススメしてくれました。芸人のネタ動画が来るもんだと思ってたので何も反応できず。
でも今思えばそのゆっくり実況、「霊夢、魔理沙、うp主」の3人での掛け合いによる実況で、さらに魔理沙が他2人にツッコむ形式で、胴体がないだけのほぼ四千頭身でした!
「そのスタイルもう既にあるよ」の意味で見せてくれたのかもしれない…気付けなかったの悔しい!
そこからなじまり解散して色々あってマボロシ結成しました!マボロシでこれからも続けるのでよろしくお願いします!